地名のとおり
「徳」がある!
牛と牛とが激しくぶつかり合う事だけではない、闘牛と牛主や地域との関わりを見て欲しい。私が闘牛を好きになったきっかけですが、小学生の時にご近所に住まれていた老夫婦が高齢になり飼っていた闘牛を育てられなくなったため、泣く泣く親戚の方に譲られたことがありました。佑本牛という名のその牛は、闘牛ファンなら知らない人はいない有名な牛でした。
花徳の闘牛文化
花徳闘牛組合 中島友記さん
しばらくして、大会出場が決まり出陣する日の朝の出来事ですが、集落を出発する際におばぁちゃんが家から飛び出して牛に駆け寄り「頑張って勝ちなさいよ。」と語りかけました。
そうすると体の大きな闘牛が頭を下げて、しっかりとおばぁちゃんの言うことを聞いていたのでした。愛情をもって接していれば、牛と人間は心が通じ合うのだということに心を打たれ、自分もいつかは佑本牛のような闘牛を育ててみたいと思ったのです。
花徳集落の子供たちは、牛の世話をすることが好きな子が多く、放課後や休みの日には好きな牛のいる闘牛小屋へ遊びに行き、世話を手伝う光景が日常にあります。 闘牛を通して子供たちが自然と地域に溶け込み、世代を問わず交流できるところが花徳集落の魅力であり、未来へ受け継いで行きたいところです。
3年前に娘(美侑さん)、そして半年前から息子が帰島してお店を手伝ってくれています。一時期は、中心街の亀津にて出店しておりましたが、あの頃は子供達も小さかったため、通勤時間も長く、土日も子供たちをお店の裏で遊ばせながらの営業で、今思うと本当に大変だった事を覚えています。
花徳に移転した際には、親戚や地域の方々のサポートも手厚く、助けていただいたお陰で今があります。今後は、島へのアクセスがもっと便利になり、沢山のお客様にご来島して頂けることを願っております。(母:美奈子さん)
私は、親孝行がしたくて島へ帰って来ました。また高齢になった祖母を心配して、一緒に過ごしたいと思いました。努力家でついつい頑張りすぎてしまう父からは、「(私が帰ってきて)楽になった。」と言ってもらえるので、帰ってきて良かったと思っています。花徳集落は元気で団結力があります。祭りや学校行事の時でも、ひとりが「ワイド!」と言えば、必ず周りも「ワイド!」で応える楽しい集落です。そんな花徳の良さをSNSなどでもどんどん発信して行きたいですね。(娘:美侑さん)
パンを通して笑顔を創る
むぎ工房 山本美奈子さん、美侑さん親子
東京生まれ鹿児島育ちで、平成15年に会社を継ぐことになり、私で3代目になります。元々は祖父が大和(ダイワ)製糖として創業し、昭和22年に天川酒造を設立しました。代表的な銘柄は社名と同じ『天川』でした。当時の奄美群島で製造されていたお酒は、原料に米が多かったことから『泡盛』と表記されていますが、昭和28年奄美群島が日本に返還された年に『黒糖焼酎』に変わりました。
黒糖焼酎は洋酒的なところもあり、発酵には麹を使うので日本の料理にも合う。食中酒としてどんな時も飲むことができます。現在は炭酸で割るハイボールが人気になりました。昨年末、炭酸で割る手間を省いた焼酎缶ハイボールを奄美酒類から新発売しました。
天川酒造株式会社
代表取締役 乾 眞一郎さん
花徳集落の好きなところは、島の生まれではない私でも「同級生」といって、仲良く付き合ってくださるところですね。島で仕事をしている以上は集落の皆さんのお陰でやっていけています。島の人口が減ってきていることを一番危惧していますが、都会へ出ている島の子も島内で働ける場所がないと帰って来れないし、新しい人も来れない。町北部に目をむけて、観光や雇用を増やそうとする活動は非常に良いことですね。
会社の隣に町営住宅が建ってからは、子供の声がよく聞こえてくるようになりました。これからもっと子供が増えることを願いたいです。
闘牛
夕方頃になると闘牛の散歩をしている様子を見ることができます。週末には、牛主の仲間内で稽古(牛同士の決着をつけない練習)が始まることがあります。花徳闘牛組合主催の『闘牛の日常に触れる!牛の世話体験』では、実際に餌やりや散歩、ブラッシングなどをして触れ合うことができます。
サーフスポット花徳浜、里久浜
島内でも数少ないサーフスポットのひとつです。奄美大島や種子島などの有名なサーフアイランドと比べると、徳之島のサーファー人口は少なく、タイミングによっては、綺麗な海と良い波を貸切で楽しめることもあります。島にはサーフショップが無いため、ボードなどのレンタルは無く要持参です。
北部一の農業集落
花徳の古い地名では”キィドゥ”といい、『植物(農作物)の良くできる所』という意味があります。基幹産業となっているサトウキビを始め、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、マンゴーなどのトロピカルフルーツを栽培している農家も多い。
黒畦
火成岩や珊瑚など様々な鉱物が集まってできた巨大な岩に、たくさんのたて穴(ポットホール)があいています。渦流の浸食と珊瑚礁の隆起と陥没で何万年もかけて形成された独特な地形は一見の価値あり!洞窟や、鏡イジュンと呼ばれる顔が映るほど透明な水たまりもあり、ダイナミックな景観が楽しめます。
前川の石垣群
一辺が2mもある石垣は、山の石や海の珊瑚を切り出して作ったもの。100年以上前の立派な石垣群が、今もこの集落に残っています。徳之島町花徳支所周辺を散策すると見つかりますよ!
すりばち山
すり鉢を逆さにしたような形状からこの名で呼ばれていますが、かつては按司(城を持つ地域の支配者)の住まいだったため、正式名称は宮城山です。山頂には菅原道真公を祀った「菅原神社」があります。
郵便局を定年退職後、区長を10年務めています。集落の環境整備を町に打診したり、自主防災活動に取り組むことで、お世話になった地域が良くなっていくのがとても嬉しいです。妻が作ってくれる郷土料理「鶏飯」は絶品です!
山口 史さん
歴史伝承 言い伝え
城畠遺跡
墓役場
山地区や花徳地区では亡くなった人を埋葬する時、墓地にある小さな石にお供え物をして、「今からこんな人が行きますよ」とあの世に届け出る儀式を行います。あの世の戸籍を作ってもらう意味から、墓役場と呼ばれています。